孔子の論語の中の有名な言葉のなかの一節「四十にして惑わず」
40歳にして、惑うことなく人生に対しての疑いを持たなくなった・・・というような解釈が一般的ですが、もうひとつ「四十にして或わず」(不或)という解釈があるそうです。「不或」とは「区切りを作らない」という意味だそうで、「40歳にもなれば、ある程度人生の成果も出し、自信も持ち、迷いもなくなるかもしれないが、それに驕ることなく、新しい領域にチャレンジする気持ちを忘れてはならない」という解釈だそうです。
なるほどねぇ(^^)
少し違うかもしれませんが、人の顔色を窺い、機嫌を損ねぬように、また少しでも自分を良く見られたいがために、言動を調整するということは、本意が伝わらないのではないか、とうことに40代を最後にして気付き始めました。(^-^)
サラリーマン時代は、会社という組織の中(会社という世界)で、その外に社会がありました。会社という組織の中では様々なことに調整を図りながら進んでいくというのも、生きるひとつの術だったのかもしれません。
しかし、独立すると自分の周りは直接外の社会です。そこを自らの手で切り開いて進んでいくには、まず自分の本意(本心)を社会に伝えていく必要性が高くなります。人の顔色を窺うより前に、「いかに伝えるか」が優先されるのです。「調整」ではなく「挑戦(チャレンジ)」し続けていく。
「四十にして惑わず」
なんとか40代のうちに、少しわかった気分です。